荘清次郎(読み)ショウ セイジロウ

20世紀日本人名事典 「荘清次郎」の解説

荘 清次郎
ショウ セイジロウ

明治・大正期の実業家 三菱合資会社専務理事。



生年
文久2年1月20日(1862年)

没年
昭和1(1926)年12月25日

出生地
肥前国大村(長崎県大村市)

学歴〔年〕
大学予備門(現・東京大学)〔明治18年〕卒,エール大学卒

経歴
大村(長崎県)藩士の家に生まれる。エール大学に学び、明治20年法律の修士学位を取得。欧米各国を歴遊し、23年帰国。三菱に入社し、25年第百十九国立銀行大阪支店支配人、のち三菱合資会社庶務部長を経て、大正5年三菱合資会社専務理事・監事就任。この間、製紙事業を主に担当し、三菱製紙創業に尽力した。理化学研究所常務委員、飛行協会理事、養育院理事も務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「荘清次郎」の解説

荘清次郎

没年:昭和1.12.25(1926)
生年:文久2.1.20(1862.2.18)
明治大正期の実業家。三菱財閥のトップ経営者。肥前大村藩(大村市)藩士荘新右衛門,テイの長男。父が幕末の藩内政争で非業の死を遂げた結果,辛苦の少年時代を過ごす。長じて上京,苦学したが,岩崎弥之助学力を認められ,同家の援助により大学予備門,東大,エール大大学院に進学することができた。明治22(1889)年三菱社に入社,以後総務部門を中心に活躍,昇進し,大正5(1916)年三菱合資会社管事,総務部専務理事というトップ・マネージメントの中軸に就任したが,在職約2年で病を得,退任。三菱商事社長,会長となった荘清彦,随筆家福島慶子実子。<参考文献>『三菱社誌』

(森川英正)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「荘清次郎」の解説

荘清次郎 しょう-せいじろう

1862-1926 明治-大正時代の実業家。
文久2年1月20日生まれ。荘清彦,福島慶子の父。岩崎久弥の家庭教師となり,渡米に同行。三菱社にはいり,明治26年三菱合資を設立して社長となった久弥の信任を得,大正5年専務理事兼管事となる。三菱製紙所,東京倉庫などの役員も兼務した。昭和元年12月25日死去。65歳。肥前大村(長崎県)出身。東京大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「荘清次郎」の解説

荘 清次郎 (しょう せいじろう)

生年月日:1862年1月20日
明治時代;大正時代の実業家
1926年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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