荻生村(読み)おぎゆうむら

日本歴史地名大系 「荻生村」の解説

荻生村
おぎゆうむら

[現在地名]黒部市荻生

東は若栗わかぐり村、西は沓懸くつかけ村と植木うえき村。寛永一六年(一六三九)富山藩領、万治三年(一六六〇)から加賀藩領。北陸街道(上街道)三日市みつかいち村から来て村の南西部を通って若栗村に入る。通称に新堂しんどう西小路にししようじ中村なかむら長正寺ながしようじ荒井野あらいの寺坪てらつぼ上野うわの長屋ながやおき栗林くりばやし大橋おおはしがある。往時浦山うらやま(現宇奈月町)方面を鶏野とりの、若栗方面を若野わかのというとともに、荻生方面を焼野やけのと称した。一面に荻が群生しているところから名付けられたともいう。現新湊市ほん町の専念せんねん寺の銅鐘は文明六年(一四七四)四月二日「大工藤原朝臣佐味郷荻生住□□幸善」により製作されている。

正保郷帳では高一千二五〇石余、田方八〇町余・畑方三町三反余、新田高六三〇石余。

荻生村
おぎゆうむら

[現在地名]加賀市大聖寺荻生町だいしようじおぎゆうまち

大聖寺川下流左岸、錦城きんじよう山の西側に続く七〇メートル級の小山の麓にあり、北は大聖寺川を隔てて下福田しもふくだ村。中世熊坂くまさか庄のうち。もと当地にあった願成がんじよう寺所蔵の応永二六年(一四一九)七月二二日の親鸞絵伝裏書に「加賀国熊坂庄内荻生 願主釈仏乗」とある。「反古裏書」に越前藤島ふじしま(現福井市)超勝ちようしよう寺創立の際、加賀の本願寺派寺院は超勝寺与力とされたが、「萩生をきふ 願成寺」等「往古ヨリ御直参ノ衆ハソノ沙汰ニ不及」とみえ、一五世紀初頭には当地に願成寺が成立していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報