改訂新版 世界大百科事典 「荻野独園」の意味・わかりやすい解説
荻野独園 (おぎのどくおん)
生没年:1819-95(文政2-明治28)
幕末から明治前期の禅僧。備前国児島郡山坂村(現,玉野市)に生まれる。諱(いみな)は承珠,字は独園,号は退耕庵。郡の掌善寺に入って得度。18歳のとき豊後に赴き,帆足万里に儒学を学ぶこと6年,ついで上洛して相国寺の大拙承演に参禅,その印可を受けた。1870年(明治3)相国寺第126世住持となった。72年教部省が設置されるや,大教院教導職となって上京,大教院長に任じ,臨済・曹洞・黄檗三宗総管長を兼任した。独園は大教宣布による廃仏政策に反抗し,宣教の自由獲得に尽力した。また廃仏運動で荒廃した九州地方の寺院復興にも努めた。著書に《近世禅林僧宝伝》3巻(1889)がある。相国寺塔頭(たつちゆう)豊光寺において,77歳で示寂。
執筆者:藤岡 大拙
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報