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莅戸善政 のぞぎよしまさ

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世界大百科事典 第2版の解説

のぞぎよしまさ【莅戸善政】

1735‐1803(享保20‐享和3)
江戸中期の米沢藩の重臣。通称九郎兵衛。太華,好古堂と号する。17歳で家督を継ぎ,中の間組に入る。1767年(明和4)に始まる明和・安永の改革に参画し,町奉行から小姓頭(300石)となった。上杉治憲(鷹山)治下のこの改革は,天明年間(1781‐89)の中断期を経て寛政改革へ引き継がれ,善政は改革の中心人物であった。91年(寛政3)中老職となり,改革の大綱《総紕(そうひ)》および《樹畜建議》を作成し,鷹山の言行録《翹楚編(ぎようそへん)》を撰した。

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世界大百科事典内の莅戸善政の言及

【上杉治憲】より

…また江戸の折衷学派の泰斗細井平洲を招き興譲館を創設した。改革は天明年間(1781‐89)に入ると,大飢饉の影響もあって一時挫折し,執政竹俣当綱,小姓頭莅戸(のぞぎ)善政らは失脚し,治憲も85年2月,家督を治広に譲って隠退した。ときに35歳。…

【出羽国】より

…その後天明の中断期をはさみ,いわゆる寛政の改革が実施された。治憲は隠退したが強力な後見者となり,執政は先に小姓頭で失職した中老莅戸(のぞぎ)善政が中心であった。改革は農村支配の整備のために代官制度を改革し,国産物の奨励を広くまた積極的に行い,とくに養蚕業の振興を図った。…

【藩政改革】より

…これに対して,治憲を擁立するグループは江戸詰家老の当綱を柱としていた。これには莅戸(のぞぎ)善政,黒崎恭右衛門,木村丈八らが名を連ねていた。彼らは平右衛門暗殺の密謀を抱くようになり,当綱は63年(宝暦13)2月ひそかに米沢に下り,みずから奉行詰の間で平右衛門を一刀のもとに突き殺した。…

※「莅戸善政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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