コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

寛政改革 かんせいかいかく

2件 の用語解説(寛政改革の意味・用語解説を検索)

百科事典マイペディアの解説

寛政改革【かんせいかいかく】

松平定信が老中在任の1787年(天明7年)から1793年(寛政5年)に行われた幕府政治の諸改革。前代の田沼時代は本百姓が没落し,農村の荒廃が続き,1782年−1787年の天明の飢饉(ききん)でその頂点に達したので,定信は享保改革徳川吉宗を理想とし,田沼意次の勢力を一掃し倹約政策を採った。
→関連項目宇下人言江戸幕府岡田寒泉寛政異学の禁寛政の三博士黄表紙旧里帰農令均田制度倹約令骨董集七分積金社倉白河藩正学徳川家斉花札尾藤二洲紅嫌い

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

かんせいかいかく【寛政改革】

江戸後期の幕政改革。享保,寛政,天保の三大改革の一つ。1787年(天明7)より93年(寛政5)までの6年間,老中松平定信が中心となって断行した幕政全般にわたる改革をいう。
[背景]
 寛政改革直前の社会状況は,老中田沼意次による重商主義的な政策の破綻により,農村,都市ともに深刻な危機に見舞われた。農村では農業人口が減少し,耕地の荒廃が進み,重い年貢や小作料の収奪に苦しむ農民たちによる百姓一揆が激化した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

世界大百科事典内の寛政改革の言及

【江戸幕府】より

…さらに印旛沼干拓,蝦夷地開発を企てたが,天明の飢饉,農民一揆により挫折,将軍家葬祭・社参費用,新田開発土木事業,飢饉災害救済など臨時出費が重なり,奥金蔵は130万両も激減した。寛政改革では倹約令の頻発にもかかわらず年貢収入は増えず,禁裏・日光・聖堂の修復,米買上げ,治水事業,蝦夷地入用が加わり支出増となった。年貢外収入は大名手伝金,国役金に公金貸付け返納と利子収入が経常収入として固定,未返済元金,延滞利金の回収困難から天保期には縮小せざるをえなかった。…

【貸付金】より

…そしてこの利殖金を困窮農民,宿場民らに無利息で恩貸,すなわち拝借金として貸し出すしくみになっていた。このような公金貸付政策は,領主財政の再建や本百姓体制の維持などと密接に関連して,寛政改革以降とくに幕府の重要な金融政策となった。たとえば,寛政年間(1789‐1801)における〈荒地起返・小児養育手当御貸付金〉は,約15万両にものぼった。…

【戯作】より

…代表的な作者には朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ),恋川春町大田南畝山東京伝などをあげうる。 そこへ寛政改革が始まり武士階級のあるべき姿が厳しく問い直される。従来の戯作者の大半が武士階級に属したこともあって,ここで作者層の大幅な転換が起こり,後期戯作が始まる。…

【七分積金】より

…寛政改革の中で,江戸町方を対象として始められた都市政策。1791年(寛政3)12月,松平定信らを中心とする幕閣は,町奉行所を通じて江戸の名主,地主,家守(やもり)にあてた長文の町触で,江戸町方支配の大改革を行う旨を告げた。…

【手余地】より

…これは必然的に手余地=荒地の増加となり,領主財政窮迫の因となり,同時に博徒,無宿(むしゆく)者,都市細民を生み出して社会不安の一因になった。寛政改革ではこれへの対策が重要課題となり,水呑,小作人,奉公人などに農具代,夫食(ぶじき)を与えて手余地=荒地を開発させ,1790年(寛政2),91年,93年と続けて旧里帰農奨励令を公布し,帰村費や田畑購入費まで支給した。さらに93年,関東代官に長文の〈申諭〉を令達し,荒地起返(おこしかえし)の場所は元の租率に引き上げるように指示し,その意味を説明して,地主取分を制限して貧民一統を救済するものだとし,手余地の解消と本百姓経営の再建によって貢租収入の確保をねらった。…

【天明の飢饉】より

…次の87年の飢饉に際し打毀が江戸,大坂をはじめ全国主要都市に集中的に発生したのは,このような動向に対し農村対策が優先された結果と考えられる。寛政改革は天明の飢饉対策を基調とした。幕府は流亡農民の旧里帰農奨励(人返し),社倉・義倉制による貯穀,江戸の七分金積立て(七分積金)等のほか,大名にも囲籾(囲米)を義務づけた。…

【人返し】より

…【藤木 久志】(2)江戸幕府が社会不安の源ともいうべき過大な都市人口を抑制するため実施した帰農政策。1790年(寛政2)相次いだ寛政改革の諸法令のなかで,旧里帰農令が出されている。これは江戸の人口過剰による需給の不安定や,打毀(うちこわし)の原因となる条件を排除するねらいであった。…

【文武二道万石通】より

…源頼朝が畠山重忠に命じて,鎌倉の大名小名を富士の人穴に入らせて,文武道の士のほかにぬらくら武士を識別し,それを箱根七湯でさらして,文武いずれかの士たらしめようとし,惰弱をこらしめ戒めるという構想をとる。天明7年より始まった老中松平定信による寛政改革の文武奨励に取材したもので,田沼意次(おきつぐ)一派の失脚をとり入れるとともに,改革に際会しての武士たちの狼狽ぶりなどをも風刺する。改革政治取材の端緒をつけた作品で好評を博し,翌89年(寛政1)には恋川春町の《鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)》をはじめ,類似作が続出したが,当局の忌諱(きい)に触れ,喜三二も戯作の筆を断った。…

【本多忠籌】より

…87年(天明7)若年寄,89年(寛政1)側用人,90年老中格となり5000石の加増をうけた。この間寛政改革を主導した松平定信の補佐役として活躍。93年定信が失脚した後も〈寛政の遺老〉の一人として改革路線を継承,98年病気を理由に辞職するまで幕政に大きな影響を与えた。…

【松平定信】より

…江戸後期の幕府老中。寛政改革を推進した中心人物。8代将軍徳川吉宗の孫,父は三卿の田安宗武。…

※「寛政改革」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

寛政改革の関連キーワード加納久周松平楽翁寛政の改革棄捐令享保の改革天保の改革寛政の三忠臣筧速水林忠英水野忠篤

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

寛政改革の関連情報