菊名村(読み)きくなむら

日本歴史地名大系 「菊名村」の解説

菊名村
きくなむら

[現在地名]三浦市南下浦みなみしたうら町菊名

浦賀うらが水道に面し、北は上宮田かみみやだ村、南は金田かねだ村に接する。集落は長い砂浜に沿って発達する。建武二年(一三三五)九月二七日の足利尊氏充行下文(県史三)に「三浦内菊名」とあり、中先代の乱の恩賞として三崎みさきなどとともに三浦高継に宛行われている。小田原衆所領役帳に糟屋兵部少輔「三拾壱貫六百拾三文 三浦菊名」と載せる。永禄一〇年(一五六七)九月六日には菊名沖で上総攻めに向かう北条綱成の大船の碇が損傷し、上宮田の新左衛門が修理した(同月二五日「北条家朱印状写」県史三)


菊名村
きくなむら

[現在地名]港北区菊名一―七丁目・富士塚ふじづか一丁目

東は馬場ばば(現鶴見区)西寺尾にしてらお(現神奈川区)、南は六角橋ろつかくばし(現神奈川区)、西は篠原しのはら村、北は大豆戸まめど村・太尾ふとお村に接する。「鶴岡脇堂供僧次第」に供米料所として「菊名」がみえる。小田原衆所領役帳には増田「拾貫文 小机菊名開」とある。

幕府直轄領。慶安三年(一六五〇)の田二四町五反、畑屋敷一五町一反(横浜市史)。享保一〇年(一七二五)神奈川宿助郷帳(県史九)では神奈川宿(現神奈川区)助郷高二六七石を勤めている。天保一三年(一八四二)六月の助郷救助金差出請書(飯田文書)によると、五街道関東筋糺のため回村の際、当村組頭が助郷困窮救金一〇両を冥加として差出している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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