日本大百科全書(ニッポニカ) 「菊多藩」の意味・わかりやすい解説
菊多藩
きくたはん
江戸前期、陸奥(むつ)国菊多郡菊多周辺を領した外様(とざま)小藩。窪田(くぼた)藩ともいい、藩地は現在の福島県いわき市勿来(なこそ)町窪田地区にあたる。1622年(元和8)磐城平(いわきたいら)藩主内藤政長・忠興(ただおき)父子と姻戚(いんせき)にあった土方雄重(ひじかたかつしげ)が、能登(のと)国(石川県)野々市(ののいち)から2万石で入部、成立した。1629年(寛永6)家督を継いだ2代雄次は、藩政の確立に意を注ぎ、33年には、領内鮫(さめ)川沿岸に五箇(ごか)村灌漑(かんがい)用水や酒井用水を築造して新田開発を促進、77年(延宝5)菩提寺(ぼだいじ)大高寺の修復を行うなどした。1679年3代雄隆(かつたか)は弟雄賀(かつよし)に2000石を分知し、菊多藩は1万8000石となったが、4代藩主の家督相続をめぐって御家騒動が表面化し、「家中紊乱(びんらん)の廉(かど)」により領地没収、菊多藩は3代62年で1684年(貞享1)廃絶した。
[誉田 宏]
『甲高武雄著『窪田藩の研究』(1976・白銀書房)』▽『『いわき市史 第2巻』(1975・いわき市)』