野々市(読み)ノノイチ

デジタル大辞泉 「野々市」の意味・読み・例文・類語

ののいち【野々市】

石川県中部にある市。金沢市ベッドタウンとして人口が増加し、平成23年(2011)11月市制施行。人口5.3万(2011)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「野々市」の意味・わかりやすい解説

野々市(市)
ののいち

石川県中南部にある市。2011年(平成23)市制施行。手取(てどり)川扇状地の東部扇端にあり、金沢市、白山市に接する。JR北陸本線、北陸鉄道石川線、国道8号、157号が通じる。古代御経塚遺跡(おきょうづかいせき)、末松廃寺跡(すえまつはいじあと)(ともに国史跡)があり、中世加賀守護富樫(とがし)氏の館が置かれた。水田地帯であったが、近年繊維機械、食料品、印刷などの工業が発達し、都市化が著しく人口が急増している。また私立金沢工業大学、石川県立大学や県立明和特別支援学校その他文教施設が多く、ふるさと歴史館が1992年(平成4)に開設された。江戸時代後期の町屋喜多家住宅(きたけじゅうたく)は国の重要文化財。盆踊りに野々市じょんから踊りがある。面積13.56平方キロメートル、人口5万7238(2020)。

[矢ヶ崎孝雄]

『『野々市町小史』(1953・野々市町)』『『野々市町史』全7巻(2001~2006・野々市町)』


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改訂新版 世界大百科事典 「野々市」の意味・わかりやすい解説

野々市[市] (ののいち)

石川県中南部の市。2011年11月石川郡野々市町が市制施行して成立した。人口5万1885(2010)。金沢市と白山市の間に位置し,JR北陸本線,北陸鉄道,国道8号,157号線が通じる。手取川扇状地の北東端を占め,室町時代には加賀国守護富樫氏居城があったが,加賀一向一揆により,1488年(長享2)富樫氏は倒された。近世には北陸街道沿いの宿場町であった。加賀米産地であったが,第2次大戦後は近郊型農業が発展し,住宅地化も進んだ。繊維,食料品,機械を中心とする工場が立地し,金沢工業大学もある。御経塚遺跡(史),奈良~平安初期の大寺で銀銭和同開珎を出土した末松廃寺跡(史),古い金沢の町屋を代表する喜多家住宅(重要文化財)がある。
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百科事典マイペディア 「野々市」の意味・わかりやすい解説

野々市[町]【ののいち】

石川県中部,石川郡の旧町。手取(てどり)川扇状地の北東隅に位置する。北陸鉄道が通じる。金沢市の発展にともない,都市化。米,果樹などを産する。近年,印刷,食品,機械など諸工業が進出,住宅地化が著しい。2011年11月市制施行,野々市市となる。13.56km2。5万1892人(2010)。

野々市[市]【ののいち】

石川県中部に位置する市。2011年11月,石川郡野々市町が単独市制。金沢市の西側に隣接し,北部を通るJR北陸本線や東部をかすめる北陸鉄道,国道8号線・157号線をはじめ幹線道路も金沢市へ通じており,金沢市のベッドタウンとして発展。東部に金沢工大,南部に県立大学がある。13.56km2。5万1885人(2010)。

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世界大百科事典(旧版)内の野々市の言及

【加賀国】より

…南北朝期から室町期にかけて守護職は富樫氏が継承するが,87年(元中4∥嘉慶1)から1414年(応永21)の間は斯波(しば)氏に奪われている。守護所は石川郡の野市(ののいち)(現,石川郡野々市町)に置かれ,特産の絹,梅染布,酒などを主体とした流通経済の核も,南北朝初期には白山宮加賀馬場本宮から野市に移っている。室町期の加賀には幕府料所や幕府と結びつきの強い寺領が濃厚に分布し,国人のなかにも結城氏,狩野氏,松任(まつとう)氏,倉光氏など,幕府奉公衆に名を連ねるものが多く,守護富樫氏による領国支配の貫徹は容易でなかった。…

※「野々市」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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