新撰 芸能人物事典 明治~平成 「菊植明琴」の解説 菊植 明琴キクウエ メイキン 職業地歌箏曲家 邦楽作曲家 別名幼名=市太郎,前名=菊原 吉寿一,菊植検校(2代目),別名=布原 嘉兵衛 生年月日天保6年 6月5日 出生地大阪 経歴6歳で失明。初代菊植検校に入門。安政2年(1855年)師の死去のため2代目菊沢検校につく。5年菊原匂当吉寿一となり、文久元年(1861年)菊植検校2代目を襲名。同時に実父の名を継いで布原嘉兵衛を名乗る。幕末から明治にかけ箏曲の大家として活躍。のち菊植明琴と改名。作曲に「菊の朝」「楠の露」がある。 没年月日大正2年 5月18日 (1913年) 家族養子=菊原 琴治 出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菊植明琴」の解説 菊植明琴 きくうえ-めいきん 1835-1913 幕末-明治時代の地歌・箏曲(そうきょく)家。天保(てんぽう)6年6月5日生まれ。6歳で失明。初代菊植検校(けんぎょう),2代菊沢検校に師事。安政5年2代菊原吉寿一となり,文久元年菊植の2代目をつぐ。養子に菊原琴治がいる。大正2年5月18日死去。79歳。大坂出身。幼名は市太郎。作品に「菊の朝」「楠の露」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by