新撰 芸能人物事典 明治~平成 「菊原琴治」の解説
菊原 琴治
キクハラ コトジ
- 職業
- 地歌箏曲家
- 本名
- 菊原 徳太郎
- 旧名・旧姓
- 播磨,布原
- 別名
- 前名=菊原 琴次
- 生年月日
- 明治11年 12月25日
- 出生地
- 大阪府 堀江(大阪市)
- 経歴
- 4歳で失明。明治19年9歳で菊原吉寿一(のちの菊植明琴)に入門、養子となったが、18歳で独立、菊原琴次(のち琴治)を名乗った。野川流三弦本手を2代目菊仲繁寿一から習得、38年琴友会を創立した。39年本手会を創立、大正5年箏三弦本曲奨励会と改称。また大阪市立盲唖学校教官、当道音楽会本部長、関西三曲家協会会長を歴任。昭和11年箏曲音楽学校を創立、校長となった。同校を出た長女の初子と共に12年から大阪府立泉尾高等女学校で邦楽教官を務めた。戦後教科目が廃止され、閉鎖となった。古典伝承に尽力し、新邦楽の作曲も行い、“菊原四つ物”といわれる「摘草」「最中の月」「銀世界」「雲の峰」の4部作のほか、「春琴抄」「秋風の辞」など名作を生んだ。宮城道雄、谷崎潤一郎らに影響を与え、30年大阪天王寺に谷崎潤一郎撰、南木炭山書による「菊原琴治君の碑」が建てられた。大阪市は48年第6回上方芸能人顕彰として菊原琴治を表彰した。
- 没年月日
- 昭和19年 3月25日 (1944年)
- 家族
- 養父=菊植 明琴,娘=菊原 初子
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報