きくち‐さんけい【菊池三渓】
- 幕末、明治初期の漢学者、漢詩人。紀伊の人。名は純。字は子顕。通称は純太郎。別号晴雪楼主人。林檉宇に学び、和歌山藩儒となり、のち、一四代将軍徳川家茂の侍講となるが、致仕してのちは京都で私塾を開く。詩、戯文にすぐれ、著に「本朝虞初新誌」「三渓文鈔」など。文政二~明治二四年(一八一九‐九一)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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菊池三渓 きくち-さんけい
1819-1891 幕末-明治時代の漢学者。
文政2年生まれ。紀伊(きい)(和歌山県)の人。安積艮斎(あさか-ごんさい)にまなぶ。江戸の和歌山藩校明教館の教授をへて幕府儒官となり,将軍徳川家茂(いえもち)につかえる。明治のはじめ「大日本野史」の校訂にあたった。明治24年10月17日死去。73歳。名は純。字(あざな)は子顕。別号に晴雪楼主人。著作に「東京写真鏡」「本朝虞初新誌」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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