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菊池三渓 きくち さんけい

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美術人名辞典の解説

菊池三渓

幕末・明治の漢学者。紀伊生。名は純、字は子顕、別号に晴雪楼主人、通称を純太郎。安積艮斎・林檉宇に儒学を学ぶ。紀州藩儒より幕府儒官となり、のち警視庁御用掛となる。晩年は京都に移り、詩・戯文を能くす。著に『続近事紀略』『国史略』等。明治24年(1891)歿、73才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

菊池三渓 きくち-さんけい

1819-1891 幕末-明治時代の漢学者。
文政2年生まれ。紀伊(きい)(和歌山県)の人。安積艮斎(あさか-ごんさい)にまなぶ。江戸の和歌山藩校明教館の教授をへて幕府儒官となり,将軍徳川家茂(いえもち)につかえる。明治のはじめ「大日本野史」の校訂にあたった。明治24年10月17日死去。73歳。名は純。字(あざな)は子顕。別号に晴雪楼主人。著作に「東京写真鏡」「本朝虞初新誌」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

菊池三渓

没年:明治24.10.17(1891)
生年:文政2(1819)
幕末明治期の漢学者,文人。名は純,字は子顕,通称純太郎,三渓と号し書楼を晴雪楼という。紀州(和歌山県)生まれ。和歌山藩儒菊池梅軒の子。江戸で安積艮斎や大槻磐渓に学び,藩邸内明教館に教える。藩主が14代将軍家茂となるにしたがい奥儒者となったが,慶応2(1866)年家茂逝去とともに致仕,采地下総に住んだ。維新後は下館,笠間,土浦各藩の文教刷新に携わるが,明治7(1874)年ごろから京都に移居し『西京日々新聞』の編集に加わる。10年代に再び東上して官に就き,傍ら竹中邦香の『大日本野史』校訂を助けるも,文筆の暇なきを憂いて,16年再度京都に赴く。晩年は福井小浜に寓居,そこで没した。詩は袁枚を奉じたが,漢文風俗誌『東京写真鏡』(1874),『西京伝信記』(同)や,わが国の俗伝や古典を漢訳した『本朝虞初新誌』(1883),『訳準綺語』(1871)など,雅俗にわたる縦横の才筆が身上である。

(宮崎修多)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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