中国の古典戯曲のうち,南方系の楽曲を基調とした作品の総称。南戯,また南曲とも呼ばれる。北方系の楽曲による雑劇が元代に栄えたのに対し,戯文は明代に最も盛行した。雑劇に比べて長編で,通常数十幕(場)から構成されている。古く南宋に始まるようで,杭州や温州で盛んに上演されていた記録があり,南宋の詩人陸游が観劇の詩を作っているのも,浙江山陰のあたりで戯文の上演を見ていたものと考えられる。《永楽大典》所収の《張協状元》は南宋末の作品のうち,伝存する唯一のものである。元代には,戯文は雑劇の盛行におされていたが,明代になると,戯文の勢力が伸張し,次第に北上して,成化・弘治(1465-1505)のころになると,北京で戯文が刊行されるまでになる。雑劇が歌曲の編成にきびしい制約があり,かつ北方の音楽が,南方の人の耳になじまなかったのに対し,戯文は歌曲の編成にほとんど制約がなく,また必要に応じて自由に北方系の歌曲をも組みこんだので,南方の人はもちろん,北方の人にも愛好されることになった。また元の雑劇の作者が一般に社会的地位の低かったのに比べて,明代では著名な読書人が戯文を書くようになり,戯曲文学の地位が向上した。その契機を作ったのは,元末・明初の文人高明である。高明は至正年間(1341-68)の進士であり,詩人としても知られていたが,後漢の蔡邕(さいよう)を主人公とする《琵琶記》を書いた。これが傑作として世間に喧伝されたことから,戯曲に対する従来の価値観に変化をきたすことになった。
明の太祖が《琵琶記》を愛好したとも伝えられ,その後,明の宮室には演劇愛好の天子が多く,その影響もあって,民間でも芝居の上演が盛んであり,また一般の読書人の間にも好劇の雰囲気が濃厚で,戯文を書く人が多くあらわれた。ただ,元の雑劇に俗語の使用が多かったのに比べると,明の戯文は文言の要素が多く,読書人の教養が強く感じられる。歌辞の部分に美辞麗句が多くなるのはもとよりとして,元来,平常の会話に近い形で応酬されていた賓白の部分まで美文で綴られ,四六駢儷文(べんれいぶん)(駢文)の用いられた作品まであらわれる。これは舞台での上演のための台本であったのが,文学作品として書斎で鑑賞されるようになったためで,詩文を書くことと戯文制作の間に感覚的な隔たりはほとんどなくなり,詩文と同様に文辞の巧拙が批評の対象になってきたことを意味する。明代の戯曲書に,精刻の挿図を配した豪華なものが多いのも,それを物語る。元刊の《古今雑劇三十種》がはなはだ古拙であるのと,格段の開きがある。明初は《琵琶記》のほかに,《荆釵記(けいさき)》《劉知遠白兎記》《拝月亭幽閨記》《殺狗記》の傑作が世に出て,隆昌の気運を醸成した。その後,俳優が天子や后妃に扮することを禁じられたり,官吏と歌妓との交遊が禁じられて,歌妓は女優を兼ねていたことから,演劇界はパトロンを失って一時衰退し,戯文の新作も世に出ない時期があったが,男優が女役を演ずることで新局面を開き,嘉靖年間(1522-66)から次第に復興した。当時の傑出した劇作家に山東章邱(山東省章丘県)の李開先がある。李開先は大地主の家に生まれ,進士及第の後,官吏として北京に住んだこともあり,蔵書家としても知られていたが,40歳で郷里に帰り,家に俳優をおいて戯曲の制作を楽しんでいた。その《宝剣記》《断髪記》は,復興の先端に位する作品である。これに続く万暦年間(1573-1619)は文化の爛熟期といわれるが,数多くの劇作家が輩出した。最も著名なのは江西臨川の湯顕祖で,《紫釵記》《還魂記》《南柯記》《邯鄲記》の作があり,中でも《還魂記》は文辞構成ともにすぐれ,かつ恋愛の自由な姿を謳歌したので,天下の子女の喝采を博した。
ところで,歌辞をうたうには土地によって流派を異にし,発祥の地名を冠して海塩腔・弋陽腔(よくようこう)・余姚腔などと称していたが,嘉靖年間に崑山の魏良輔がはじめた崑曲の調べが好評で,急速に各地に伝播した。曲律を重んずる劇作家の沈璟は,専ら崑曲によって戯曲を書くことを主張し,梁辰魚が崑曲に合わせて作った《浣紗記》は,世人の耳を喜ばせ,崑曲の勢力を伸張した。しかしこれに対して,湯顕祖は海塩腔の一派の宜黄腔によって戯曲を書き,かつ宜黄の俳優の指導者でもあり,また歌辞は曲律よりも文辞を尊重すべきであると主張していたから,二人はきびしく対立し,万暦の戯曲界を二分して論争を繰り返した。一般に明の戯文は,作者の読書人としての教養が作品にあらわれ,題材も元の雑劇が庶民的な感覚で,市井の事件を扱う作品が多かったのに対し,歴史上の著名な人物を主人公とし,その一生を描く作品が多い。構成はおおむね佳人才子が一度は離別を余儀なくされ,苦難のあとめでたく団円する形をとる。清朝に入ると,康煕年間(1662-1722)に書かれた洪昇の《長生殿》,孔尚任の《桃花扇》が傑作とされるが,その後は崑曲が次第に勢力を失い,新たに京劇が流行すると,戯文の新作はほとんどみられなくなる。
→中国演劇
執筆者:岩城 秀夫
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…戯文,もじり詩文,狂詩などの訳語をあてる。語源はギリシア語parōidiaで,para(擬似)+ōidē(歌)を意味する。…
…なお,雑劇の最盛期は作者が北方出身者によって占められていた前期にあり,およそ1300年ごろが一つのピークに達した時期と目されるが,後期には中心地が南方へ移ってゆき,同時に作者も南方人によって占められるようになって,しだいに模倣的な作品が目だつようになり,生新ではつらつとした精神が薄れて,かつてのたくましく生き生きとした描写力を失ってしまうのである。雑劇
[文人による才子佳人劇]
14世紀中ごろより,ようやく従来の面目を一新し活力を得てきたのが,宋以来南方の地に行われていた〈南戯〉(〈戯文〉ともいい,のちには〈伝奇〉といった)であった。元末・明初のころには,高明によって名作《琵琶記》が書かれ,ほぼ同時期には《荆釵(けいさ)記》《白兎(はくと)記》《幽閨記》《殺狗記》のいわゆる〈四大作〉が出て,にわかに脚光を浴びるようになり,雑劇にかわって主座の地位をしめるにいたった。…
※「戯文」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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