…その戦況は《太平記》や《梅松論》に活写され,両軍の兵力は菊池勢4万~5万騎,足利勢300騎とも記される。それはともかく,敗れた阿蘇大宮司惟直は重傷を負い間もなく自害,菊池武敏は本拠肥後に帰国した。尊氏はそれから1ヵ月間,大宰府に滞在,とくに菊池武敏と南九州の肝付(きもつき)兼重を討伐するために,九州・西中国の諸勢力に対して種々の文書を発している。…
※「菊池武敏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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