菊田昇(読み)キクタ ノボル

20世紀日本人名事典 「菊田昇」の解説

菊田 昇
キクタ ノボル

昭和・平成期の医師 元・菊田産婦人科肛門科医院院長。



生年
大正15(1926)年5月31日

没年
平成3(1991)年8月21日

出身地
宮城県石巻市

別名
号=百日紅

学歴〔年〕
東北大学医学専門部〔昭和24年〕卒

学位〔年〕
医学博士

主な受賞名〔年〕
世界生命賞〔平成3年〕

経歴
昭和32年秋田市立病院産婦人科医長。33年石巻市で菊田産婦人科肛門科医院開業。34年以降、母性保護胎児の生命尊重から人工妊娠中絶を求める女性患者らの生んだ新生児について、いわゆる実子斡旋を行い、53年3月仙台簡裁より医師法違反、公正証書原本不実記載、同行使の罪で罰金刑略式命令を受ける。さらに54年厚生大臣より医業停止6カ月の処分をうけ、宮城県医師会から優生保護法の指定医を取り消された。県医師団と国を相手取り、処分取消しと損害賠償請求の訴えを起こすが、58年6月東京地裁の第1審、61年3月東京高裁の控訴審、さらに63年6月最高裁の上告審まで全て棄却され、敗訴した。平成3年医院を閉じる。著書に「私には殺せない」「天使よ大空へ翔べ」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菊田昇」の解説

菊田昇 きくた-のぼる

1926-1991 昭和後期-平成時代の産婦人科医。
大正15年5月31日生まれ。昭和33年生地宮城県石巻市で開業。妊娠した未婚女性に母性保護,生命尊重の立場から出産をすすめ,約100人の新生児を子のない夫婦に実子として斡旋(あっせん)した。48年告発され,優生保護法指定医をとりけされる。事件をきっかけに62年実子特例法が制定された。平成3年8月21日死去。65歳。東北大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「菊田昇」の解説

菊田 昇 (きくた のぼる)

生年月日:1926年5月31日
昭和時代;平成時代の産婦人科医師。菊田産婦人科肛門科医院院長
1991年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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