菩提樹院陵(読み)ぼだいじゆいんりよう

日本歴史地名大系 「菩提樹院陵」の解説

菩提樹院陵
ぼだいじゆいんりよう

[現在地名]左京区吉田神楽岡町

神楽岡かぐらおかの南にあり、後一条天皇及び後冷泉天皇中宮章子内親王を葬る。「拾芥抄」(諸寺)に「菩提樹院神楽岡東、上東門院御領」とみえる。

後一条天皇は藤原道長の娘上東門院藤原彰子を母とし、寛弘五年(一〇〇八)九月に生れ、長元九年(一〇三六)四月一七日に没した。同年五月一九日に「神楽岡東面」の「浄土寺西原」で火葬に付され、遺骨浄土じようど寺に安置されたが、同時に「神楽岡東」に菩提樹院の「伽藍建立が開始され(日本紀略)、長暦元年(一〇三七)六月二日に上東門院によって落慶供養が行われた(百錬抄)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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