朝日日本歴史人物事典 「華蔵義曇」の解説
華蔵義曇
生年:永和1/天授1(1375)
室町時代の曹洞宗の禅僧。肥後(熊本県)の人。10歳で肥後海蔵寺の梅巌義東について出家し,参学20年にして法を嗣ぐ。義東の死後,諸地を歴遊して遠江(静岡県)に至り,引間城(浜松市)城主の吉良義尚の招きで本能山随縁寺に住した。のちに天竜川の洪水で寺域を城池に移して広沢山普済寺と改め,派祖の寒巌義尹から師の義東までを勧請して自ら5世となった。また同地の新豊院,宗源院の開山にも請ぜられた。のち寒巌派は九州の地のみでなく,東海地方にも勢力を持つこととなり,義曇の系統は普済寺13門派を形成した。
(佐藤秀孝)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報