菱刈郷
ひしかりごう
明治二年(一八六九)大隅国菱刈郡馬越郷と同郡湯之尾郷が合併してできた郷(菱刈史)。所属村は旧馬越郷の前目村・田中村・徳辺村、旧湯之尾郷の川北村・川南村。明治初年の高は六千四〇四石余、戸数六〇九・人口二千七八七、うち士族一千一五〇人・卒一二〇人(薩隅日地理纂考)。
菱刈郷
ひしかりごう
「和名抄」所載の郷。菱刈郡四郷の中心となる郷で、郡家の所在地であったと考えられ、ほぼ現菱刈町域の大半を占めていたとみられる。当郷が川内川流域に立地していたことから、ほかの三郷も川内川の主流・支流域にあったと推定できよう。推定される郷域には古墳時代を中心とする地下式横穴墓(築地寺山・前目など)が分布するが、奈良時代から平安時代初頭にかけては岡野窯跡と塞ノ神・前目・岡野の各遺跡がある。岡野窯跡では四基からなる登窯が出土し、須恵器が焼かれていたことが判明、川内川流域の進展した文化として注目された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 