日本歴史地名大系 「落伏村」の解説 落伏村おちふしむら 山形県:飽海郡遊佐町落伏村[現在地名]遊佐町直世(すぐせ)升川(ますかわ)村の北西にあり、鳥海山西側山麓の滝淵(たきぶち)川上流に位置する。内郷(うちごう)街道が通り、北には一里塚があった(「正保庄内絵図」本間美術館蔵)。下山(しもやま)・笹淵(ささぶち)・目倉神(めくらがみ)には縄文時代の集落跡がある。尾落伏村とも記した。戦国末期、由利(ゆり)・仙北(せんぼく)両郡(現秋田県)と庄内の要路桑(くわ)ノ森(もり)道は治安が悪いため、武藤義氏はこの道を閉鎖し、その仕置を上中下に分け、下は当村と升川村・下当(しもと)村に命じた(「山仕置書物」菅原文書)。慶長一六年(一六一一)の検地帳(飽海郡誌)では高一四石余、家数七、漆木一〇〇本。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録に村名なく、寛永三年庄内高辻帳では高七石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by