落針村(読み)おちばりむら

日本歴史地名大系 「落針村」の解説

落針村
おちばりむら

[現在地名]亀山市布気ふけ

野尻のじり村の西に続く東海道沿いの村で、亀山城の西にあたる。神戸かんべ七郷の一で、関谷せきだに二四郷の一に数えられる(九九五集)。永禄五年(一五六二)永明寺領川上祠堂納(鈴鹿郡関町瑞光寺蔵)によれば、懺摩方として「落針之又三郎方」に納分三・五石があった。元和元年(一六一五)幕府領(四日市代官の預地)となったが、寛永一三年(一六三六)以後は亀山藩領。翌年の内検地では田畑合せて三三町余、村高は四二一石余。茶桑銭三貫余、藪年貢三四七文などの小物成を上納した(九九五集)が、往還筋であることを理由に高掛物である糠藁は免除された(亀山御領分雑記)。亀山宿の助郷村で、出馬は五疋。

東海道に沿う村々では人の出入りが頻繁であったが、元禄八年(一六九五)三月六日に出された博奕禁令に付け足して、とくに城下西方にあたる諸村に対し「海道筋村々茶屋弥以入念可申候、且又野村、野尻村、落針村、小野村、市ノ瀬村、沓掛村ハ山人之宿一切不仕様」(九九五集)に藩の指令が出されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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