日本歴史地名大系 「市ノ瀬村」の解説 市ノ瀬村いちのせむら 和歌山県:西牟婁郡上富田町市ノ瀬村[現在地名]上富田町市ノ瀬富田川の流域が平地部となるところにあり、東は鮎川(あゆかわ)村、西は岩田(いわた)村・岡(おか)村、北は岡村、西谷(にしだに)村(現中辺路町)、南は足谷(あしだに)山で生馬(いくま)村と境される。熊野街道中辺路の沿道集落で、村の中央部をほぼ東西に富田川が貫流する。「続風土記」に「川辺に櫟木ありしより櫟瀬(いちのせ)の名起れる」と記される。「吉記」承安四年(一一七四)九月二九日条に「於石田一瀬昼養」とあり、古くは「一ノ瀬」と記したものが多い。中世は勧学院領櫟原(いちはら)庄に属し、戦国時代は国人層の山本氏の本貫として、富田川流域の中心的村落であった。山本氏は畠山家の家督争いに義就方に属したため、政長方の小山勢の攻撃を受け、当村で合戦が行われた(欠年六月八日付「丹下盛賢・遊佐長清連署書状」小山文書)。 市ノ瀬村いちのせむら 石川県:輪島市旧輪島市地区市ノ瀬村[現在地名]輪島市市ノ瀬町山(やま)ノ上(うえ)村の南、河原田(かわらだ)川中流東岸の段丘・山地に立地。市瀬とも書く。正保郷帳に村名がみえ、高二六九石余、田方一六町二反余・畑方一町六反余。承応三年(一六五四)の村御印の高二八九石余、免六ツ(能登奥両郡収納帳)。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高三〇〇石、免六ツ三歩、小物成は山役六六匁、鳥役一匁(出来)、漆役七匁・蝋役三匁、川役一二〇匁(ほか九匁は退転)であった(三箇国高物成帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by