日本大百科全書(ニッポニカ) 「蒋琬」の意味・わかりやすい解説
蒋琬
しょうえん
(?―246)
中国、三国蜀(しょく)の官僚。字(あざな)は公琰(こうえん)。零陵(れいりょう)郡湘郷(しょうきょう)県(湖南(こなん)省湘江(しょうこう)市)の人。荊州(けいしゅう)より劉備(りゅうび)の入蜀に随従し、広都県長(こうとけんちょう)に任命された。しかし、酒ばかり飲んで政務を顧みず、劉備の怒りを買った。諸葛亮(しょかつりょう)(孔明(こうめい))は「県を治めるだけの器ではありません」と弁護、やがて抜擢(ばってき)した。諸葛亮の北伐では、後方支援を担当し、軍需物資の供給に努めた。諸葛亮の死後、蜀の政権を担当し、大司馬(だいしば)となった。「その政治能力は諸葛亮に及ばない」と批判を受けても、「そのとおりである」と受け入れる度量の広さがあった。諸葛亮の政治基盤であった荊州名士が優越していた蜀では、絶対的指導者の諸葛亮が没した後には、益州(えきしゅう)名士との融和を実現できる調停型の政治家が必要とされていたのである。蒋琬は、両者のバランスをよくとりながら蜀を維持し、晩年には魏(ぎ)を征討する計画までたてた。国力が回復した証(あかし)である。『三国志演義』では、劉備ではなく、諸葛亮に従って入蜀したことになっている。
[渡邉義浩]
『渡邉義浩著『「三国志」軍師34選』(PHP文庫)』