日本大百科全書(ニッポニカ) 「蒙古大蔵経」の意味・わかりやすい解説
蒙古大蔵経
もうこだいぞうきょう
蒙古語(モンゴル語)で書かれた仏教文献集成(大蔵経)。元朝の成宗フビライ・ハンは仏教を保護し、サキャ・パンディタの甥(おい)パスパphags paを帝師として彼に新しい蒙古文字(八思巴(パスパ)文字、方形文字)をつくらせ、仏典の翻訳もチベット語から行ったことが知られるが、現存しない。武宗ハイシャン・ハンの勅命によってサキャ派のチュクオエセルchos sku od gsalが1310年に仏説部(甘殊爾(かんじゅる))の大部分と論疏(ろんしょ)部(丹殊爾(てんじゅる))の一部分の翻訳をサンスクリット、チベット、ウイグル、中国の諸語に通じた諸学者の協力で完成させたのが、古訳蒙古大蔵経である。これは大部分が散逸し今日その全容は知りえない。その後に多くのチベット人翻訳僧がモンゴルに招かれて断続的に訳業は続けられた。とくにリンダン・ハン(在位1603~27)の代のクンガー・オエセルkun dga od gsalによりほぼそれまでの欠落が補われ、旧訳大蔵経はいちおうの完成をみた。清(しん)朝の聖祖康煕(こうき)帝(在位1661~1722)の治世時には多数のチベット人、モンゴル人僧侶(そうりょ)を動員して国家的事業として新訳が試みられ、さらに高僧チャンキャ・ロルペエドルジェlca skya rol pai rdo rjeに帰依(きえ)した高宗乾隆(けんりゅう)帝(在位1736~95)の勅命により改訳と新規の翻訳、木版印刷が大規模に行われた。1650年から1911年の清朝滅亡までの261年間に開版・印行された蒙古語の仏典は、甘殊爾108巻、丹殊爾226巻、大蔵経以外220巻の計554巻に上る。蒙古大蔵経はチベット大蔵経を底本としているが、両者に出入・増減の差異があることや、蒙古語訳のほうがサンスクリット文や漢訳に一致することもあって、さらに今後の精査が必要である。
[川崎信定]