ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サキャ派」の意味・わかりやすい解説
サキャ派
サキャは
Sa skya pa
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密教色の濃いチベット仏教の一派。11世紀中葉,クンチョクゲルポが西チベットのサキャ地方で創始した。第4代座主サキャパンディタがモンゴル布教に成功した結果,サキャ派の座主は13~14世紀初頭のチベットの覇権を握った。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…このようにしていくつかの宗派が発生した。有力な氏族は,教団にまつわる利権を捨てきれないで,サキャ派のように僧にならないうちに子をもうけて親子で教団を相続したり,身内のものを教団の中枢に送りこんで,枢要な地位をおじ・おいの間で相続して教団を私有化し,氏族単位で系列化して氏族の名を冠する宗派が発生した。この傾向は教団の質を低下させる結果を生じたので,転生活仏を法主とする教団も後年現れるようになった。…
…一時帰国ののちフビライ・ハーンの命を承けて〈蒙古新字〉(パスパ文字)をつくり(1269),その功により帝師に昇任し大宝法王の称号を受けた。サキャ派の始祖としてチベット仏教隆盛の途をひらいた。なお,パスパとは,〈聖なる〉〈すぐれたる〉の意。…
…彼等は11世紀以前の混乱期における破戒無愧の仏教に懲りて,吐蕃時代以来の寂護,蓮華戒によって説かれた瑜伽行中観派の仏教をもっぱら奉じた。 当時インドでは無上瑜伽タントラが流行して,インドに留学してそれらをチベットに広めたマルパ(1012‐97)や,その弟子ミラ・レーパ(1040‐1123)などと,サキャ派のように吐蕃時代のタントラ仏教と新しい無上瑜伽タントラを併せ説いたもの,吐蕃時代の無上瑜伽タントラと南宗禅由来の見解を継承した古派,捨身供養をタントラ仏教的観想法によって意義づけたシチュー派などが発生した。アティーシャの傾向に近い弟子の系統から,後にガンポパ(1075‐1153)のような無上瑜伽タントラ系の不思不観の瞑想法をとり入れるものも現れた。…
※「サキャ派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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