日本歴史地名大系 「蔀山」の解説 蔀山しとみやま 広島県:福山市旧深安郡地区深津村蔀山[現在地名]福山市西深津町蔵王(ざおう)山塊より福山平野に突出する深津(ふかつ)高地の一支丘にあたる。現在稲荷大明神境内から西側平坦な台地一帯を称する。蔀山は「古今六帖」などに詠じられるが、その所在には異説がある。当地には将軍足利義昭が居館を構え、深津御所とも蔀山御所屋鋪とも称したと伝えられている。義昭は天正四年(一五七六)二月毛利氏を頼って鞆(とも)に到着、公方谷(くぼうだに)に居館を定めた。同一〇年毛利氏と豊臣秀吉との講和により、京都に帰って幕府を開く希望が絶え、義昭はその後居所を備後国内に転々と移し、同一五年頃には津之郷(つのごう)に御座所があった(九州御動座記、九州道の記)。蔀山居館について「福山志料」は、「蔀山にあり、西の方なる平らかなる岡これなり」と記し、そのよりどころとして「室町殿日記」の「備後の国深津と申所に御館を作り」、「西国太平記」の「備後国深津に御所を経営」という記事をあげる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by