日本歴史地名大系 「深津村」の解説
深津村
ふかづむら
現粕川村の南端、粕川右岸に位置し、東は粕川を挟んで
当地は室町中期以降たびたび戦場となった。享徳四年(一四五五)二月二七日の岩松持国宛足利成氏書状写(正木文書)は、深須や
深津村
ふかつむら
福山城下の東方、深津高地に位置する。深津はその名称の示すように、深く入込んだ津を意味し、古くは現在の深津高地は深く湾入した福山湾内に突出した半島状の丘であり、
の歌があり、この深津島山は深津高地をさすとされる。少なくとも平安時代には深津高地の両側に遠浅の海岸が形成され人家が存在したことは、平安時代から中世にかけて使用された須恵器や土師器、中世の土器、中国より輸入された磁器を含む貝塚が点在することでも知られる。戦国時代には深津高地南端の
深津村
ふかづむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報