蔭涼寺(読み)いんりようじ

日本歴史地名大系 「蔭涼寺」の解説

蔭涼寺
いんりようじ

[現在地名]東区白壁一丁目

長塀ながへい町、善光寺ぜんこうじ筋の西南角にあり、桂昌山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊は光友寄進の薬師如来像。本堂棟瓦(現在は門の上)に置かれた鶏の像により鶏薬師とりやくしとよばれるが、「金鱗九十九之塵」には聖観世音菩薩を本尊とし、薬師堂を別殿としている。延宝―天和(一六七三―八四)の頃妙興みようこう(現一宮市)の僧景偽が光友から付与されたこの地に可笑軒を建てたが、元禄二年(一六八九)桂昌山久法きゆうほう寺と改め、その後、幾度も廃寺になりかけたが、定光じようこう(現瀬戸市)の竺堂らにより再興、同寺の通い所となった(藩士名寄、張州志略)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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