蔵王堂城跡(読み)ざおうどうじようあと

日本歴史地名大系 「蔵王堂城跡」の解説

蔵王堂城跡
ざおうどうじようあと

[現在地名]長岡市西蔵王三丁目

蔵王権現を祀る金峰きんぷ神社境内にある。本丸跡に蔵王権現別当安禅あんぜん寺、二ノ丸跡に金峰神社がある。本丸の北・南に土塁、北・東・南の一部に堀跡が残る。江戸末期の蔵王堂城跡絵図(長岡市立互尊文庫蔵)によると、南からかき川が城地南西端で信濃川に注ぎ、信濃川が城地西側を北流しており、蔵王渡が蔵王権現の南に延びる参道の入口、柿川右岸に記される。築城年代は不明。文和二年(一三五三)一一月二六日の羽黒義成軍忠状(三浦和田羽黒氏文書)によると、乙面おとも(現三島郡出雲崎町)で宗良親王・新田義宗・脇屋金吾(義治)の軍と戦ってこれを敗走させた義成・景茂父子は、同一三日に「蔵王堂」に着陣。同四年四月七日には「大島庄平方原」で宗良親王以下の軍勢と合戦に及んでいる(同年四月二九日「羽黒義成軍忠状」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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