中魚沼郡(読み)なかうおぬまぐん

日本歴史地名大系 「中魚沼郡」の解説

中魚沼郡
なかうおぬまぐん

面積:三七三・七八平方キロ(境界未定)
津南つなん町・中里なかさと村・川西かわにし

県の南西部に位置し、旧魚沼郡のうち信濃川水系に属する。十日町市を間に挟んで北の川西町と南の中里村津南町からなる。川西町は西部は渋海しぶみ川水系に属し、北は小千谷おぢや市・刈羽郡小国おぐに町、西は同郡高柳たかやなぎ町、南は東頸城ひがしくびき松代まつだい町・十日町市、東は十日町市。中里村と津南町は北は十日町市・東頸城郡松之山まつのやま町、西と南は長野県下水内しもみのちさかえ村、東は南魚沼郡湯沢ゆざわ町・塩沢しおざわ町。主要道は信濃川右岸の善光寺道(現国道一一七号)左岸の川西信州道のほか、横断路は川西町では柏崎堀之内ほりのうち(北魚沼郡堀之内町)を結ぶ道(現国道二五二号)、中里村では高田たかだ(上越市)と三国街道(現国道一七号)を結ぶ道が東西に通る。

〔原始・古代〕

信濃川支流清津きよつ川・中津なかつ川の下流部には先土器、縄文草創期から晩期の遺跡が数多く発掘されている。ことに先土器遺跡の発掘例は県下四〇ヵ所余のうち清津川と中津川に挟まれた流域では一六ヵ所を数える。この地域では縄文草創期から中期にかけての遺跡が多く、以降激減する傾向をみせる。郡内の古代の歴史は、魚野うおの川水系の南魚沼郡に比してきわめて不鮮明である。「和名抄魚沼いおぬ郡も魚野川の灌漑地域に基づいて成立したとみられている。同書魚沼郡内の那珂なか郷を当郡に比定する説があるが、確たる根拠はない。「延喜式」神名帳魚沼郡五座のうちの「伊米イメノ神社」は、苗場なえば山頂の伊米いめ神社に比定する説がある。同名の社は小千谷市野宮いちのみやなど信濃川の下流部にもある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報