… この平衡を破ったのは,応仁の乱後,京から越後にひきあげた守護上杉氏である。上杉房能は,それまであった守護不入についてきびしい詮議を加えて,不入権を否定・制限する方針をうちだして,直接在地を掌握しようと試みた。それは,すでに領主化をとげてみずからが越後支配者の地位を望みはじめていた守護代とするどく対立することとなり,ついに1507年(永正4)守護房能は守護代長尾為景によって滅ぼされ,守護国主化の道はとざされてしまった。…
※「上杉房能」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」