日本歴史地名大系 「蕗村」の解説 蕗村ふきむら 大分県:豊後高田市蕗村[現在地名]豊後高田市蕗相原(あいわら)村・池部(いけべ)村の北、桂(かつら)川の支流蕗川流域に位置する。貞応二年(一二二三)五月日の大宮司宇佐公仲寄進状案(到津文書)に「蕗浦阿弥陀寺」とみえ、蕗浦は蕗谷の意、阿弥陀寺は当地の富貴(ふき)寺。江戸時代の領主の変遷は高田(たかだ)村に同じ。小倉藩元和人畜改帳によると高四八一石余、家数一三五(うち百姓二二・山ノ口一・寺家一、隠居・名子・下人・庭屋・裏屋・牛屋等一一一)・人数一七七(うち百姓二二、名子・下人三三)、牛二九・馬三。正保郷帳では田染(たしぶ)庄に属し、田方二四三石余・畑方一一〇石余、半分日損所で茅山・柴山・新田がある。安永三年(一七七四)の島原藩領郷村帳(島原半島史)では高三八六石余、ほかに同所新田三一石余がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by