日本歴史地名大系 「薄衣城跡」の解説 薄衣城跡うすぎぬじようあと 岩手県:東磐井郡川崎村薄衣村薄衣城跡[現在地名]川崎村薄衣 古館千厩(せんまや)川と北上川との合流点南方の高台にある。米倉(よねくら)館・搦手(からめて)館・古(ふる)館・千葉(ちば)城・葛丸(くずまる)城とも称される。現在城跡は耕地になっているが、本丸・二の丸・三の丸・物見台・大手門・搦手門の跡が残る。築城の時期は不明。城主は「仙台領古城書上」には千葉中務とある。初め藤原秀衡の家臣で帰化人の崑一禎の後裔(米倉氏)が当所に城を築き、薄衣氏を称したと伝える。建長五年(一二五三)千葉胤堅が三千町余を領地として当地に移住し、城を築いたともいう(「薄衣系図」平野文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報