日本歴史地名大系 「薗浦」の解説 薗浦そのうら 和歌山県:御坊市薗浦[現在地名]御坊市薗御坊村の南・西・北の三方を囲み、南は名屋(なや)浦、北は財部(たから)村に隣接。平安時代は石清水(いわしみず)八幡宮領薗財(そのたから)庄のうちに含まれた。慶長検地高目録に薗村とみえ、高六九五石余。寛永八年(一六三一)藩主徳川頼宣が薗御殿を建てたが(小竹八幡神社文書)、頼宣没後の延宝二年(一六七四)御殿は取壊され、同六年、跡地に小竹(しの)八幡宮が移された。名屋浦南西の浜(はま)ノ瀬(せ)(現日高郡美浜町)には当村出領もあった(名屋浦鑑)。同六年の「日高鑑」によると、村高七七七石余、町数五八町三反余、家数二七五で内訳は本役三九・半役七九・無役七四・庄屋二・年寄二・ありき二・舟方五九ほか、人数一千五二、牛五八、馬一一、舟四五(廻船三二・いさば三・網舟一〇)、網五、御蔵一、加子米五〇石、床銀九〇目。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by