浄国寺(読み)じようこくじ

日本歴史地名大系 「浄国寺」の解説

浄国寺
じようこくじ

[現在地名]岩槻市加倉

岩槻城跡と綾瀬川の中間の高台に位置する。仏眼山英隆院と号し、浄土宗本尊阿弥陀如来。この本尊は安阿弥の作といわれ、初め鎌倉光明こうみよう寺の本尊であったが、のちに鴻巣勝願しようがん寺に移され、さらに当寺草創にあたり本尊として迎えられたと伝える。当寺は岩付いわつき(岩槻)城主太田氏房が天正一五年(一五八七)勝願寺隠居である惣誉清巌を開山として招請、建立したもので、浄土宗の檀林寺院のなかでこのように成立年次や開山・開基が明白な寺院は非常に珍しい。

天正一五年八月一一日の太田氏房判物(浄国寺文書、以下同文書は省略)によると、氏房は清巌に開山として当地に一寺を建立するよう要請している。当時岩付には浄安じようあん寺という浄土宗寺院が存在したが、太田氏房はわざわざ新規に浄国寺を建立して清巌を住職としている。清巌は小田原の出身で、光明寺に入寺して看誉の弟子となり、そののち河越蓮馨れんけい寺の感誉存貞のもとで学業に励み学頭に出世した。感誉の門下にはこの清巌(檀林勝願寺中興開山)のほかに、幡随意(檀林上野国館林善導寺開山・檀林江戸神田幡随院開山)・存応(本山江戸芝増上寺中興開山)・大潮(檀林江戸本所霊山寺開山)など、その後の関東浄土宗教団の指導的役割を果した僧侶が輩出している。これらの人々のなかで清巌が学頭として所化(修養中の僧徒)の学問指導に当たっていたということは、彼の学識が評価されていたのであろう。清巌は師感誉の開いた近在の平方ひらかた(現上尾市)馬蹄ばてい寺の二世となったが、元亀元年(一五七〇)上野国高崎に大信だいしん寺を建立して弟子の養成に努めた。その後浄土宗の三祖良忠の遺跡である勝願寺の荒廃に心を痛め、同寺を再興して学問所としての名声を取戻した。天正七年七月一日の清巌から不残に宛てた璽書(勝願寺文書)によると、清巌は不残に法流を授与して勝願寺を隠退していることがわかる。


浄国寺
じようこくじ

[現在地名]橿原市一町小字天満

貝吹かいぶき山北西の天満てんま山に所在。報土山得生院と号し、浄土宗。本尊阿弥陀如来。寺伝に寛永(一六二四―四四)頃の開基とある。明治九年(一八七六)真言宗の天満山長法ちようほう寺に合併、のち同寺を廃し、浄国寺と称した。境内には凝灰岩製の十三重塔(鎌倉初期)と正和五年(一三一六)在銘の石灯籠があり、「西国三十三所名所図会」に長法寺は「常門村にあり。


浄国寺
じようこくじ

[現在地名]海南市黒江

天王山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊は阿弥陀如来。鷺森さぎのもり御坊(現和歌山市鷺森別院)の前身で、もとは黒江くろえ御坊と称した。寺蔵の黒江天王山之御坊由緒之覚によると、永正四年(一五〇七)春、紀伊真宗の発展に伴い御坊は冷水しみず(現海南市)から参詣の便のよい黒江に移った。当初は黒江の東山ひがしやまにあったが、天文一三年(一五四四)現在地の天王てんのう山に移転したという。本願寺一〇世証如の「天文日記」同五年五月条によると、黒江御坊の与力衆と惣中との間で紛争が生じ、御坊の管理は惣中の手に委譲された。同一九年には証如が紀州に来訪し当地に逗留したが、同年証如の命で御坊は黒江から要害の地である和歌浦弥勒寺みろくじ(現和歌山市)に移った。


浄国寺
じようこくじ

[現在地名]潮来町潮来

浄土宗、大永山と号し、本尊は阿弥陀如来。地元では「浄土」と通称される。寺の創建は文禄元年(一五九二)とも慶長三年(一五九八)とも伝えられるが、開基帳(彰考館蔵)はその由来を「寺内弐石壱斗二升、此寺之元祖法誉懐翁上人と結城弘経寺之学問所罷有候歟、当時托鉢シ来、地蔵院と申密宗之坊舎一夜旅宿致(中略)其頃当所佐竹義宣御領地御座候ニ付、当村石田丹後御奉行所ヘ相登浄土寺建立仕度旨捧訴状、則文禄元辰年新地開造立仕候(中略)檀那六拾人余御座候」と記している。


浄国寺
じようこくじ

[現在地名]岩井市三

大字の東部、鵠戸くぐいど沼を望む台地に所在。内手山覚清かくせい院と号し、浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。縁起によると親鸞が当地を訪れた時、郷士内手美濃守資康(助安)が親鸞の弟子となり、了善の法名を与えられた。親鸞は十字名号を了善に与え、これを本尊として当地に一寺を建立するよう命じた。これが当寺の創建で、承久二年(一二二〇)のことである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の浄国寺の言及

【関東十八檀林】より

…しかし最後にできた深川霊巌寺は24年(寛永1)の開山であるので,制度としての確立はそれ以降のことである。かくして成立した十八檀林は,開山の年代順に相模鎌倉光明寺,武蔵鴻巣勝願寺(埼玉県鴻巣市),常陸瓜連常福寺(茨城県那珂郡瓜連町),江戸芝増上寺,下総飯沼弘経寺(茨城県水海道市),下総小金東漸寺(千葉県松戸市),上総生実(おゆみ)大巌寺(千葉市),武蔵川越蓮馨寺(埼玉県川越市),武蔵滝山大善寺(東京都八王子市),武蔵岩槻浄国寺(埼玉県岩槻市),常陸江戸崎大念寺(茨城県稲敷郡江戸崎町),上野館林善導寺(群馬県館林市),下総結城弘経寺(茨城県結城市),江戸本所霊山(りようぜん)寺(東京都墨田区),江戸下谷幡随院(東京都小金井市,もと台東区浅草神吉町),江戸小石川伝通院,上野新田大光院(群馬県太田市),江戸深川霊巌寺(東京都江東区)である。学問所としての檀林はやがて幕府の寺院統制下で行政の一端をにない,一,二の変動はあったが宗教行政の中心となった。…

※「浄国寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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