御坊町(読み)ごぼうまち

日本歴史地名大系 「御坊町」の解説

御坊町
ごぼうまち

[現在地名]高松市御坊町・今新町いまじんまち塩屋町しおやまち

丸亀まるがめ町筋を挟んで西のてら町と相対峙する寺院区。東は野方のがた町・無量寿むりようじゆ院、北は今新町。南東部に七十間ななじつけん町が入込み、南は水路を隔てて片古馬場かたふるばば町。町名の由来は高松興正たかまつこうしよう寺別院(御坊)があることによる。同別院は生駒正俊が慶長一九年(一六一四)三木みき池戸いけのべ(現木田郡三木町)より移築したもので、歴代藩主の保護を受け、勝法しようほう寺・西福さいふく寺・願船がんせん坊などを周囲に従えた。町内には町屋も混在し、西福寺東隣に御用八百屋十川屋があった(弘化年間城下精図)。町全体が興正寺別院の寺内町的性格をもっていたと考えられ、町の南側を通る水路が掘割の役目を果している。勝法寺前に二ヵ所、町の南東入口に一ヵ所の橋があり、南東入口から徳法とくほう寺西隣までが七十間町で、同町は御坊町に含まれることが多い。


御坊町
ごぼうまち

[現在地名]富山市桃井町もものいちよう一―二丁目・平吹町ひらきまち土居原町どいはらまち

山王さんのう町の西に続き、東西に延びる両側町。散地のうち。安政元年(一八五四)の富山城下絵図(県立図書館蔵)では東端付近を南に折れると堀端ほりばた町、西端を南に折れると土居原町で、その間の町並から北に延びる小路二本、南に延びる小路一本が記されている。町中央付近に四ヵ寺あり、家中屋敷も散在した。小規模な寺町で、町名もこれに由来するのであろう。安永八年(一七七九)の本家数五〇・貸家数七七で、七丁目まであった(「町方旧記抜書」前田家文書)。天保一二年(一八四一)の富山町方旧事調理では竈数一二五、男一六八・女一七六。


御坊町
ごぼうまち

[現在地名]小矢部市八和町やつわまち

紺屋こんや町と博労ばくろう町を東西に結ぶ道に沿う両側町。散町に属する。コボマチともいう。南側に一向宗乗光じようこう寺、西側に同宗等源とうげん(いずれも現真宗大谷派)がある(元禄一五年今石動町図)。これによる町名と思われるが、木舟きぶね(現福岡町)の城下にもあった町名という(福岡町史)


御坊町
ごぼうまち

[現在地名]金沢市石引いしびき二丁目

二十人にじゆうにん町の北西位置。町名の由来は万治元年(一六五八)から当地にあった真宗慶恩きようおん寺が御坊慶恩寺とよばれたことによる(金沢古蹟志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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