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樽廻船 たるかいせん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

樽廻船
たるかいせん

江戸時代,大坂-江戸間の定期船。菱垣廻船の例にならって寛永4 (1627) 年に開業した大坂の富田屋や摂津伝法村の毛馬屋などの船問屋は,大坂の船問屋たちに対抗できなくなったため,寛文年間 (1661~73) 頃から駿河の 200~400石積みの船を雇い入れて酒,醤油,酢,塗物,木綿,紙などの雑貨を江戸に運送したのに始る。速力が出るため初めこの廻船を「小早」といったが,最大の荷主が西宮や灘の酒元であったことから樽廻船と呼ばれるようになった。高速で低運賃であったため,18~19世紀には菱垣廻船を圧倒した。とりわけ安永1 (1772) 年の両廻船協定,同2年の株仲間公許により,酒は樽船の一方積み,西宮付近の米,ぬか,藍玉,そうめん,酢,醤油,ろうそくは樽・菱垣両積み,そのほかはすべて菱垣の一方積みと定められたが,この協定を破って樽廻船は隆盛をきわめ,天保 12 (1841) 年の幕府の株仲間停止は,まもなく再興したとはいえ,この積荷勝手次第の傾向を助長した。しかし幕末,蒸気船の出現により打撃を受けて,1875年両廻船は合併した。

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デジタル大辞泉の解説

たる‐かいせん〔‐クワイセン〕【××廻船】

江戸時代、大坂から江戸へ、主として酒樽荷などを運んだ船。船足が速く、幕末には菱垣(ひがき)廻船を圧倒した。たるぶね。

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百科事典マイペディアの解説

樽廻船【たるかいせん】

江戸時代,上方〜江戸間の貨物輸送の定期船。樽船(たるぶね)とも。寛文年間摂津の廻船業者が大坂の酒積問屋から伊丹(いたみ)の酒を江戸に送り,舟足の速さで当時,〈小早〉と呼ばれた。
→関連項目廻(回)船

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大辞林 第三版の解説

たるかいせん【樽廻船】

1730年、菱垣ひがき廻船から独立して関西の酒荷を専門に江戸へ輸送した廻船仲間の船。江戸後期では年間一〇〇万樽の酒を運び、また菱垣廻船の荷物の一部も輸送して、船も千五百石から二千石積みの大型船を使用した。たるぶね。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

樽廻船
たるかいせん

江戸時代、大坂・西宮(にしのみや)から江戸への酒荷輸送に従事した商船。主たる貨物が、灘(なだ)・伊丹(いたみ)など上方(かみがた)から江戸積みされる酒樽(さかだる)(四斗樽)であったためこの称がある。当初、酒樽は菱垣(ひがき)廻船に木綿、油などといっしょに混載されていた。正保(しょうほう)期(1644~48)に伝法船が酒荷の積(つ)み下(くだ)しを始め、1671、72年(寛文11、12)には活躍著しく、酒荷を主とし一部荒荷(雑貨)も積み合わせた。これがのちの樽廻船の始まりで、船足が速く小早(こはや)とよばれた。1730年(享保15)に酒荷を取り扱う酒問屋が、江戸十組問屋より分離独立して、別個に酒荷専用船として樽廻船が仕立てられるようになった。その理由は、菱垣積み荷物は江戸問屋の注文荷物であったのに対し、酒荷は酒屋荷主からの委託荷物であったため、海難に際しての損失は荷主である酒屋が負担したこと、しかも酒荷は迅速性と安全性が要請されたため、混載による荷役積込み作業の煩雑さを避けて輸送所要日数の短縮を図ったこと、などがあげられる。その結果、低運賃と酒屋の支援もあって、幕末期には樽廻船が菱垣廻船を圧倒してゆくのである。[柚木 学]
『柚木学著『近世海運史の研究』(1979・法政大学出版局)』

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