薬袋村(読み)みないむら

日本歴史地名大系 「薬袋村」の解説

薬袋村
みないむら

[現在地名]早川町薬袋

大島おおしま村の東に位置し、南は早川を挟んで高住こうじゆう村、北は塩之上しおのうえ村。塩之上村とは山道で結ばれ、集落間は約三〇町。早川入一八ヵ村の一。本集落は早川左岸の谷間にあり、北西一〇町に古屋ふるや、西八町に中島なかんしま、北八町に天久保そらくぼの三枝村がある(天保一三年「村明細帳」早川町誌)

中世末期、早川入とよばれた地域には幾人かの有力土豪がいたようであるが、なかでも薬袋は穴山氏に奉公する佐野氏が蟠居しており、政治上中心をなす地であった。ことに元亀(一五七〇―七三)から天正(一五七三―九二)にかけての史料にみえる佐野七郎兵衛は、「早川入之用所、以其方一人可申付候」(年未詳二月一三日「穴山信君判物」佐野文書)といわれるほどの勢力をもち、雨畑あめはたから奈良田ならだまでの巣鷹・棟別銭を管理し、材木の伐出し奉公をする立場にあった(元亀元年八月二一日「穴山信君印判状」・年未詳六月六日「穴山信君印判状」同文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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