藤並神社(読み)ふじなみじんじや

日本歴史地名大系 「藤並神社」の解説

藤並神社
ふじなみじんじや

[現在地名]吉備町天満

野田のだとの境にある泣沢女なきさわめの森に鎮座する。江戸時代には天満天神社と称し、祭神菅原道真。旧郷社。「続風土記」は社伝として天元三年(九八〇)国司菅原有忠が京都北野社より勧請したと記す。江戸時代には藤並荘(現吉備町)下津野しもつの村を除いた九ヵ村の産土神。同書はまた「奥村の大顔明神を浜宮とし八幡宮を御旅所として祭礼の時に神輿渡御あり、祭日には両社の神主共に当社に来りて神事をなす、流鏑馬あり」と記す。羽柴秀吉の紀州攻略時に社領を没収されたという。同書は境内末社に祇園社、白太夫・少彦名命社、猿田彦神社紅梅殿、水舟神社、建豊羽頬別神社をあげる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む