藤原仲実(読み)ふじわらのなかざね

日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤原仲実」の意味・わかりやすい解説

藤原仲実
ふじわらのなかざね
(1057―1118)

平安後期の歌人。父は従(じゅ)五位下越前守(えちぜんのかみ)藤原能成、母は源則成の女(むすめ)。正四位下中宮亮(ちゅうぐうのすけ)に至る。堀河(ほりかわ)院の中宮亮を務めた関係で、堀河院近臣歌人の一員として活躍し、『堀河院百首』『永久百首』に加わったほか、歌会、歌合(うたあわせ)にもしばしば出詠した。永久(えいきゅう)6年3月26日没。『堀河院百首』においては、源俊頼(としより)に次いで特異な語句を用いており、当時の新風歌人としては俊頼に次ぐ存在である。『金葉集』以下に入集(にっしゅう)。著書は『綺語抄(きごしょう)』『古今和歌集目録』。

[川上新一郎]

 もずのゐる櫨(はじ)の立枝のうす紅葉たれわが宿の物とみるらん

『橋本不美男著『院政期の歌壇史研究』(1966・武蔵野書院)』

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朝日日本歴史人物事典 「藤原仲実」の解説

藤原仲実

没年:元永1.3.26(1118.4.18)
生年天喜5(1057)
平安末期の歌人。越前守藤原能成と弾正大弼源則成の娘の子。白河天皇の六位の蔵人を経て,紀伊,三河,備中,越前などの国司歴任。正四位下に至る。母が堀河天皇の中宮篤子内親王の乳母であったことから中宮亮(中宮の次官)となった。若くから歌人として活躍し,堀河院歌壇の主要な一員で,「堀河百首」の作者のひとり。また,「左近権中将俊忠歌合」や「白河院鳥羽殿北面歌合」など多くの歌合に参加する一方,自邸でも歌合を開催した。「永久四年百首」の作者のひとりでもある。歌学者としての側面もあり,『綺語抄』『古今和歌集目録』などの著書を残した。<参考文献>橋本不美男『院政期の歌壇史研究』

(渡辺晴美)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原仲実」の解説

藤原仲実 ふじわらの-なかざね

1057-1118 平安時代後期の官吏,歌人。
天喜(てんぎ)5年生まれ。越前守(えちぜんのかみ)藤原能成の子。正四位下,中宮亮(すけ)。堀河天皇の中宮篤子(とくし)につかえる。「永久四年百首」の企画者。歌学者として「綺語(きご)抄」「古今和歌集目録」をあらわした。勅撰集には「金葉和歌集」以下に23首。永久6年3月26日死去。62歳。

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