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藤原在衡 ふじわらの ありひら

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原在衡 ふじわらの-ありひら

892-970 平安時代中期の公卿(くぎょう)。
寛平(かんぴょう)4年生まれ。如無(によむ)の子。母は良峰高見の娘。伯父藤原有頼の養子。天慶(てんぎょう)4年(941)参議。大納言,従二位にすすみ,安和(あんな)2年(969)源高明の失脚(安和の変)で右大臣。翌天禄(てんろく)元年左大臣となり,同年10月10日死去。79歳。贈従一位。通称は粟田左大臣

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朝日日本歴史人物事典の解説

藤原在衡

没年:天禄1.10.10(970.11.11)
生年:寛平4(892)
平安中期の公卿。大僧都如無と良峰高見の娘の子。中納言山陰の孫。伯父藤原有頼の養子となる。粟田左大臣,万里小路大臣と称される。天徳4(960)年,中納言から大納言に昇進した翌9月,遷都後はじめて炎上した内裏の再建のため造宮別当として工事に当たり,その功で翌年従二位。安和2(969)年3月13日,在衡が粟田山荘で催した尚歯会(敬老会)は,参会者の毛髪の色で座次を決めるなど盛会をきわめたといい,そのときの詩を『本朝文粋』に収める。いわゆる安和の変が発覚する12日前のことである。この変後右大臣となり,さらに翌年左大臣に任じられ,家格の上では菅原道真以来の幸運を得た。これについては『古事談』に,若い時分の文章生時代,鞍馬寺に参籠して右大臣となる霊夢を見たというエピソードを伝える。出家したその日に死去。従一位を追贈。

(瀧浪貞子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ふじわらのありひら【藤原在衡】

892‐970(寛平4‐天禄1)
平安中期の廷臣。粟田左大臣。祖父は中納言山陰,父は但馬介有頼。才学にすぐれ,文章生となり対策及第。少内記,大学頭,式部少輔,式部大輔等文人官僚として累進し,兼ねて弁官を歴任,941年(天慶4)参議。のち大納言に昇り,焼失した内裏造営に当たる。969年(安和2)の安和の変後の異動で右大臣,翌年左大臣に転じ同年没。なお,969年3月に粟田山荘で行った尚歯会は有名。【黒板 伸夫】

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