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藤原多子 ふじわらの まさるこ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原多子 ふじわらの-まさるこ

ふじわらの-たし

藤原多子 ふじわらの-たし

1140-1202* 平安時代後期,近衛(このえ)天皇の皇后。
保延(ほうえん)6年生まれ。徳大寺公能(きんよし)の娘。母は藤原俊忠の娘豪子。藤原頼長の養女。久安6年(1150)入内(じゅだい),同年皇后,ついで皇太后,太皇太后となる。二条天皇にもとめられ,永暦(えいりゃく)元年(1160)再入内して二代后(にだいのきさき)と称された。建仁(けんにん)元年12月24日死去。62歳。名は「まさるこ」ともよむ。

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朝日日本歴史人物事典の解説

藤原多子

没年:建仁1.12.24(1202.1.19)
生年:保延6(1140)
平安末期・鎌倉前期の近衛・二条両天皇の后。右大臣藤原公能中納言藤原俊忠の娘豪子との娘。左大臣藤原頼長の妻が叔母に当たり,3歳で頼長の養女となる。久安4(1148)年従三位。6年1月近衛天皇に入内。3月皇后。しかし,4月に藤原伊通の娘呈子が関白藤原忠通の養女として入内し,多子を疎外。幸薄い生活を送る。久寿2(1155)年天皇死去,保元1(1156)年頼長の死と不幸が重なるが,同年10月皇太后宮。3年太皇太后宮となる。永暦1(1160)年二条天皇に求められて再入内。永万1(1165)年二条天皇の死去ののちに落飾。美貌の「二代后」として『平家物語』にも登場する。

(櫻井陽子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の藤原多子の言及

【藤原忠通】より

…忠通は天皇の生母美福門院藤原得子の信任を得ており,一方忠実,頼長には鳥羽院の支持があった。兄弟はそれぞれ養女の入内を図り,結局頼長養女藤原多子の入内・立后に続き,忠通養女藤原呈子も入内・立后した。左大臣となった頼長は兄の地位を望み,忠実は忠通に譲るよう説得して果たさず激怒し,50年氏長者を奪って頼長に与え,また翌51年(仁平1)頼長は内覧となった。…

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