朝日日本歴史人物事典 「藤原多子」の解説
藤原多子
生年:保延6(1140)
平安末期・鎌倉前期の近衛・二条両天皇の后。右大臣藤原公能と中納言藤原俊忠の娘豪子との娘。左大臣藤原頼長の妻が叔母に当たり,3歳で頼長の養女となる。久安4(1148)年従三位。6年1月近衛天皇に入内。3月皇后。しかし,4月に藤原伊通の娘呈子が関白藤原忠通の養女として入内し,多子を疎外。幸薄い生活を送る。久寿2(1155)年天皇死去,保元1(1156)年頼長の死と不幸が重なるが,同年10月皇太后宮。3年太皇太后宮となる。永暦1(1160)年二条天皇に求められて再入内。永万1(1165)年二条天皇の死去ののちに落飾。美貌の「二代后」として『平家物語』にも登場する。
(櫻井陽子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報