朝日日本歴史人物事典 「藤原朝光」の解説
藤原朝光
生年:天暦5(951)
平安中期の公卿。閑院大将,閑院大納言と称される。関白兼通の次男。母は有明親王の娘昭子女王。娘の姚子は花山天皇の女御。天延2(974)年参議,3年後に権大納言と異例の昇進をしたが,大臣に至ることなく45歳で病死。疫病が流行した年である。邸宅は三条堀河第で,ほかに閑院を父から伝領した。最初の妻を離別して年増の未亡人を後妻にしたが,容貌ほかすべての点で前妻より劣っていたことから世間は財産めあての結婚と噂したことが『大鏡』にみえる。しかし朝光は気立て,容貌にすぐれ兄弟のなかではもっとも信望があったという。
(朧谷寿)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報