藤原綏子(読み)ふじわらのすいし

朝日日本歴史人物事典 「藤原綏子」の解説

藤原綏子

没年寛弘1.2.7(1004.2.29)
生年:天延2(974)
平安中期,三条天皇の尚侍。「やすこ」とも。父は藤原兼家。母は藤原国章の娘(対の方)で,色好みとの評判が高かった。綏子は容貌が大層美しく,東宮居貞親王(三条天皇)に入内するため,永延1(987)年14歳で尚侍として後宮に入り,永祚1(989)年東宮に参入。麗景殿女御と呼ばれ,当初は寵愛されたが,あまりに従順な性格が災いしてか東宮の足は遠のいた。長徳年間(995~999)ごろ,懐妊によって源頼定との密通露見,内裏から退出し,以後参内しなかった。長保3(1001)年正二位。寛弘1(1004)年2月3日危篤,同7日尼となり死去。その死を伝える文書でも役職名が尚侍のままになっているところをみると,密通が罰せられたわけではない。

(服藤早苗)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原綏子」の解説

藤原綏子 ふじわらの-やすこ

974-1004 平安時代中期,三条天皇の女官
天延2年生まれ。藤原兼家の3女。母は藤原国章の娘。永延元年(987)天皇が東宮のとき入内(じゅだい),尚侍となり麗慶殿女御(にょうご)とよばれた。まもなく寵(ちょう)をうしない,長徳(995-999)のころ源頼定との密通が露見して宮中をしりぞいた。正二位。長保6年2月7日死去。31歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android