朝日日本歴史人物事典 「藤原綏子」の解説
藤原綏子
生年:天延2(974)
平安中期,三条天皇の尚侍。「やすこ」とも。父は藤原兼家。母は藤原国章の娘(対の方)で,色好みとの評判が高かった。綏子は容貌が大層美しく,東宮居貞親王(三条天皇)に入内するため,永延1(987)年14歳で尚侍として後宮に入り,永祚1(989)年東宮に参入。麗景殿女御と呼ばれ,当初は寵愛されたが,あまりに従順な性格が災いしてか東宮の足は遠のいた。長徳年間(995~999)ごろ,懐妊によって源頼定との密通が露見,内裏から退出し,以後参内しなかった。長保3(1001)年正二位。寛弘1(1004)年2月3日危篤,同7日尼となり死去。その死を伝える文書でも役職名が尚侍のままになっているところをみると,密通が罰せられたわけではない。
(服藤早苗)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報