精選版 日本国語大辞典 「藤原義孝」の意味・読み・例文・類語 ふじわら‐の‐よしたか【藤原義孝】 平安時代の歌人。一条摂政伊尹の子。母は恵子女王。行成の父。右少将正五位下。兄挙賢とともに美男で名高かったが、疱瘡のため挙賢は朝に義孝は夕に死んだ。兄を前少将、弟を後少将と称する。中古三十六歌仙の一人。家集「義孝集」。「拾遺集」以下の勅撰集に一一首入集。天暦八~天延二年(九五四‐九七四) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「藤原義孝」の解説 藤原義孝 没年:天延2.9.16(974.10.4) 生年:天暦8(954) 平安中期の官人で歌人。摂政伊尹と恵子女王(代明親王の娘)の子。「三蹟」のひとり,行成の父。東宮亮を経て,天禄2(971)年右近少将に進む。容姿に優れ,月明かりの夜に詩を吟じながら歩く姿は絶妙であったと『大鏡』は讃えている。道心が深く公務の合間にも「法華経」を誦し,ふだんから魚鳥を食べなかったという。藤原実資をはじめ極楽の世界にいる義孝を夢に見たという人が少なくなかった。歌人としてもすぐれ「君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな」が百人一首に採られている。流行の疱瘡に罹り21歳の若さで死んだ。同日の朝年子の兄挙賢に次ぐ死であったため,母の嘆きは比類なかったという。 (朧谷寿) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原義孝」の解説 藤原義孝 ふじわらの-よしたか 954-974 平安時代中期の官吏,歌人。天暦(てんりゃく)8年生まれ。藤原伊尹(これただ)の4男。母は恵子女王。能書で有名な行成の父。右近衛(うこんえの)少将。中古三十六歌仙のひとりで,歌は「拾遺和歌集」などにはいっている。天延2年9月16日,流行病で朝に死んだ兄挙賢(たかかた)につづき,夕方に死去。21歳。兄の前少将にたいして後少将とよばれた。仏道に帰依(きえ)した説話がおおい。【格言など】君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな(「小倉百人一首」) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by