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藤原伊尹 ふじわらのこれただ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

藤原伊尹
ふじわらのこれただ

[生]延長2(924)
[没]天禄3(972).11.1.
平安時代中期の廷臣。「これまさ」とも読む。右大臣師輔の長男。別称,一条摂政。諡は謙徳公。天慶4 (941) 年昇殿を許され,天暦9 (955) 年従四位下,頭中将,天徳4 (960) 年従四位上,参議,康保2 (965) 年正四位下,同4年従三位,権大納言に進む。冷泉天皇の安和1 (968) 年正三位,同2年には大納言で近衛大将を兼ね,天禄1 (970) 年右大臣に進み,次いで藤原実頼の没後,摂政,氏長者となり,同2年正二位,太政大臣に任じられた。和歌にすぐれ『後撰和歌集』の編纂に参画した。

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デジタル大辞泉の解説

ふじわら‐の‐これただ〔ふぢはら‐〕【藤原伊尹】

[924~972]平安中期の公卿・歌人。名は「これまさ」とも。師輔(もろすけ)の長男。「後撰和歌集」撰者の一人。和歌所別当となり、参議・右大臣を歴任。のち摂政となり、一条摂政と称された。諡号(しごう)は謙徳公。歌集に「一条摂政御集」がある。

ふじわら‐の‐これまさ〔ふぢはら‐〕【藤原伊尹】

ふじわらのこれただ

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百科事典マイペディアの解説

藤原伊尹【ふじわらのこれただ】

平安中期の公卿。歌人。名は〈これまさ〉とも読む。右大臣師輔(もろすけ)の長男。970年伯父藤原実頼の死後右大臣,摂政,翌年太政大臣。和歌にもすぐれ《後撰和歌集》の撰集に参画した。
→関連項目一条摂政御集

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原伊尹 ふじわらの-これまさ

ふじわらの-これただ

藤原伊尹 ふじわらの-これただ

924-972 平安時代中期の公卿(くぎょう)。
延長2年生まれ。藤原師輔(もろすけ)の長男。母は藤原経邦の娘盛子。天徳4年(960)参議。天禄(てんろく)元年右大臣,摂政,2年正二位,太政大臣。一条摂政とよばれる。妹安子が生んだ冷泉(れいぜい)天皇,円融天皇のもとで勢力をもった。「後撰和歌集」の和歌所別当。天禄3年11月1日死去。49歳。贈正一位。諡(おくりな)は謙徳公。名は「これまさ」ともよむ。家集に「一条摂政御集」。
【格言など】あはれともいふべき人はおもほえで身のいたづらに成りぬべきかな(「小倉百人一首」)

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

藤原伊尹

没年:天禄3.11.1(972.12.9)
生年:延長2(924)
平安中期の公卿。一条摂政と称す。諡号は謙徳公。右大臣師輔と藤原経邦の娘盛子の嫡男。安和の変(969)で主謀者と目される叔父師尹に加担し,直後に権大納言から大納言に進んだ。冷泉天皇に代わって円融天皇が即位すると(ともに伊尹の従兄弟)娘が生んだ冷泉皇子の師貞親王(のちの花山天皇)が東宮となった。天禄1(970)年,右大臣となり,4カ月後に伯父の藤原実頼が他界し摂政となる。2年,正二位太政大臣。摂政を1年半務めて病死。遺骸は西京外の天安寺(右京区双ケ岡にある法金剛院の前身)境内に埋葬された。彼の死は,その昔,参議の座を争って負けた藤原朝成の生霊によるなどといわれる。和歌をよくし,『一条摂政御集』がある。百人一首に「あはれともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな」がとられた。容姿端麗で奢侈を好み,好色であったという(その歌からも察せられる)。大内裏の北に桃園という邸宅を構え,これが孫で養子の行成に伝えられ世尊寺となる。

(朧谷寿)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ふじわらのこれただ【藤原伊尹】

924‐972(延長2‐天禄3)
平安中期の公卿。右大臣師輔の長男。母は武蔵守藤原経邦の女盛子。18歳で叙爵,のち蔵人頭を経て960年(天徳4)参議,967年(康保4)正月権中納言となり,その後妹安子所生の冷泉・円融天皇時代にかけ,同年12月には権大納言,970年(天禄1)摂政右大臣,翌年摂政太政大臣となったが,その翌年没。諡(おくりな)は謙徳公。一条摂政という。和歌にすぐれ家集も残している。妻恵子女王(醍醐皇孫)が生んだ女懐子は冷泉女御,花山天皇母。

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大辞林 第三版の解説

ふじわらのこれただ【藤原伊尹】

〔名は「これまさ」とも〕 (924~972) 平安中期の廷臣・歌人。師輔の長子。行成の祖父。一条摂政と呼ばれた。諡号しごうは謙徳公。摂政・太政大臣。撰和歌所別当となり、「後撰和歌集」の撰進に関与。家集に「一条摂政御集(豊蔭)」がある。

出典|三省堂
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世界大百科事典内の藤原伊尹の言及

【一条摂政御集】より

…平安時代の歌人摂政太政大臣藤原伊尹(これただ)の家集。《大鏡》に〈いみじき御集つくり`豊蔭’と名のらせ給へり〉と見えるが,大蔵史生倉橋豊蔭に仮託して,伊尹の恋歌を歌物語風にまとめた第1部41首,〈同じ翁の歌〉として収める種々の贈答歌からなる第2部151首,補遺2首から構成される。…

【梨壺の五人】より

…951年(天暦5)10月,村上天皇の勅命によって,《万葉集》の訓釈と第2番目の勅撰集《後撰集》の撰という二つの事業が課せられ,内裏の後宮にある昭陽舎(梨壺)に初めて撰和歌所が置かれた。別当(長官)には左近少将藤原伊尹(これただ)が任ぜられ,讃岐大掾大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ),河内掾清原元輔,学生源順(みなもとのしたごう),近江少掾紀時文,御書所預坂上望城(さかのうえのもちき)の5人が事にあたった。能宣,元輔は当代歌人の代表者,順は和漢にわたる随一の学識者,時文は能筆の者,望城は御書所の図書責任者であったから,それぞれの能力や立場に応じて撰集と訓釈という両面の仕事が分担されたと想像される。…

※「藤原伊尹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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