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藤原賢子 ふじわらの けんし

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原賢子 ふじわらの-けんし

1057-1084 平安時代中期-後期,白河天皇の中宮(ちゅうぐう)。
天喜(てんぎ)5年生まれ。源顕房(あきふさ)の娘。母は源隆俊の娘隆子。藤原師実(もろざね)の養女。延久3年(1071)皇太子妃,6年中宮となる。敦文親王,郁芳門院,堀河天皇,令子内親王,禎子内親王らを生んだ。応徳元年9月22日死去。28歳。その死をかなしんで天皇は数日食事をとらなかったという。贈太皇太后。名は「かたこ」ともよむ。

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世界大百科事典内の藤原賢子の言及

【藤原師実】より

…平安後期の廷臣。関白頼通の子。京極殿ともいう。1053年(天喜1)元服後急速に昇進し,69年(延久1)左大臣。75年(承保2)叔父関白教通が没すると関白・氏長者となった。86年(応徳3)堀河天皇が即位すると摂政となった。88年(寛治2)太政大臣(翌年辞任)。90年関白となり,94年(嘉保1)関白辞任。1101年出家し没した。村上源氏の源師房女を室とし,養女賢子(師房孫,顕房の子)は白河天皇中宮として堀河天皇の生母となった。…

※「藤原賢子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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