…平安後期の廷臣。関白頼通の子。京極殿ともいう。1053年(天喜1)元服後急速に昇進し,69年(延久1)左大臣。75年(承保2)叔父関白教通が没すると関白・氏長者となった。86年(応徳3)堀河天皇が即位すると摂政となった。88年(寛治2)太政大臣(翌年辞任)。90年関白となり,94年(嘉保1)関白辞任。1101年出家し没した。村上源氏の源師房女を室とし,養女賢子(師房孫,顕房の子)は白河天皇中宮として堀河天皇の生母となった。…
※「藤原賢子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
《料理されるためにまないたにのせられた魚の意から》相手のなすに任せるより方法のない運命のたとえ。まないたの鯉こい。[類語]俎板まないたの鯉こい・薬缶やかんで茹ゆでた蛸たこのよう・手も足も出ない...