朝日日本歴史人物事典 「藤原頼輔」の解説
藤原頼輔
生年:天永3(1112)
平安後期の公卿,歌人。蹴鞠の難波,飛鳥井両家の祖。大納言忠教の4男。母は賀茂神主成継の娘。同時代の顕輔の子の頼輔とは別人。山城守,豊後守などを歴任,嘉応2(1170)年59歳で刑部卿,寿永1(1182)年従三位。藤原清輔家や藤原重家家の歌合等当代の主要歌合にはほとんど参加,また九条兼実家歌壇の常連で,自邸でも歌合を主催している。『千載集』以下に28首入集,家集に『刑部卿頼輔集』がある。一方,蹴鞠を藤原成通に学び,「無双達者」とされ,『蹴鞠口伝集』を編述。鼻が大きく「鼻豊後」といわれた。源成雅に嘲弄され乱闘事件を起こすなど直情的な面もあるが,時勢を巧みに読み,兼実や後白河法皇に信任されて貴族社会をしぶとく生き,歌,鞠においても名声を得た。<参考文献>井上宗雄『平安後期歌人伝の研究』
(田渕句美子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報