藤原頼輔(読み)ふじわらの よりすけ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原頼輔」の解説

藤原頼輔 ふじわらの-よりすけ

1112-1186 平安時代後期の公卿(くぎょう)。
天永3年生まれ。藤原師実(もろざね)の孫。藤原忠教の子。刑部卿となり,養和2年(1182)従三位。後白河院の院司別当。鼻がおおきく,知行国豊後(ぶんご)から鼻豊後とよばれた。歌人として活躍,また蹴鞠(けまり)の名手で,難波(なんば),飛鳥井(あすかい)両流の祖。文治(ぶんじ)2年4月5日死去。75歳。初名は親忠。家集に「頼輔集」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の藤原頼輔の言及

【難波家】より

…藤原氏北家花山院の流れ。摂政太政大臣師実の五男の正二位大納言忠教を祖とする。その子頼輔は蹴鞠(けまり)に秀で,〈本朝蹴鞠一道長〉などと称された。頼輔の子頼経は源義経に党して伊豆に流されたが,その子宗長は蹴鞠の達人として難波流の祖となり,弟雅経も飛鳥井流の祖となった。鎌倉時代を通じて名手が出,とりわけ宗緒はわずか14歳で天皇の師範を務めたほどであった。南北朝期の宗富の没後に家が断絶したが,江戸時代の初め,飛鳥井雅庸の次男宗勝が入って家名を再興した。…

※「藤原頼輔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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