ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウルバヌス3世」の意味・わかりやすい解説
ウルバヌス3世
ウルバヌスさんせい
Urbanus III
[没]1187.10.19./1187.10.20. フェラーラ
ミラノ出身の第172代教皇(在位 1185~87)。本名 Umberto Crivelli。貴族出身。教皇ルキウス3世(在位 1181~85)により枢機卿(→カーディナル)およびミラノ大司教に叙階され,1185年11月にその後継者として登位した。1186年1月,神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世(在位 1155~90)の息子でドイツ王のハインリヒ6世(在位 1169~97)が,シチリア王ロジェール2世(在位 1130~54)の娘コンスタンツァと結婚すると,これをホーエンシュタウフェン朝によるイタリア北部と南部の支配という,教皇座を包囲する企てだとして強く反発した。また 1186年6月,トリーアの大司教の任命をめぐって皇帝と対立し,ハインリヒ6世に教皇領に攻め込まれた。ウルバヌス3世は皇帝をベネチアで破門しようとしたが,ベネチアへ向かう旅の途中,フェラーラで死去した。
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