藤堂高朗(読み)とうどう たかほら

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤堂高朗」の解説

藤堂高朗 とうどう-たかほら

1717-1785 江戸時代中期の大名
享保(きょうほう)2年10月28日生まれ。藤堂高武(出雲(いずも)家)の3男。伊勢(いせ)(三重県)久居(ひさい)藩主藤堂高治(たかはる)の養子にはいり,高治が宗藩の津藩へうつったあと久居藩5代藩主となる。享保20年高治の死去により津藩主藤堂家7代となり,のち名を高豊(たかとよ)から高朗にあらためた。天明5年4月7日死去。69歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む