藤岡城跡(読み)ふじおかじようあと

日本歴史地名大系 「藤岡城跡」の解説

藤岡城跡
ふじおかじようあと

[現在地名]藤岡町藤岡

東武日光線藤岡駅西方にある。花岡はなおか城・中泉なかいずみ城ともいったと伝える。東に赤麻あかま沼、西に渡良瀬川を配した狭長な段丘上に築かれた平城。東西約四〇〇メートル・南北約三〇〇メートルの規模で、東側は幅三〇〇メートル、西側の幅は約一五〇メートル。西端の旧渡良瀬川の谷に臨む最高所に、東西八〇メートル・南北一七〇メートルの長方形本丸があり、東側の幅二〇メートルの堀を隔て東西約一二〇メートル・南北約二〇〇メートルの二の丸、さらに谷を隔てて東西約八〇メートル・南北約二五〇メートルの三の丸がある。承平二年(九三二)平将門により築かれたと伝え、寛仁二年(一〇一八)足利成行が一族の佐貫重光を配し、中泉城とよんだとも伝えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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