藤岡有貞(読み)ふじおか・ありさだ

朝日日本歴史人物事典 「藤岡有貞」の解説

藤岡有貞

没年嘉永2.12.7(1850.1.19)
生年:文政3(1820)
江戸後期の和算家通称雄市,幼名恵之助,字を子明,観瀾,賜谷,累山と号した。出雲松江藩士。弘化2(1845)年4月より江戸勤番,このころ内田五観に学んだ。嘉永2(1849)年4月病気療養のため帰国。蘭学測量格別出精の旨をもって士分に取り立てられ,18石5人扶持。同年7月江戸勤番をおおせつけられたが病気のため延期,同年12月30歳で病死した。その著『算法円理通』の弘化2年版の序,3年版の跋は円理の問題に取り組んでいる。今でいうカーデオイド(心臓形)の回転体の表面積を求める高度の問題を扱う。また切口重心に関する問題,サイクロイド(回転している車輪上の点が車の回転によってどのように動くか)の問題などを扱っている。

(道脇義正)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤岡有貞」の解説

藤岡有貞 ふじおか-ありさだ

1820-1850* 江戸時代後期の和算家。
文政3年生まれ。出雲(いずも)松江藩士。江戸の内田五観(いつみ)に関流算学および天文,測量を,箕作阮甫(みつくり-げんぽ)に地理学をまなんだ。嘉永(かえい)2年12月5日死去。30歳。通称は雄市。字(あざな)は子明。号は観瀾,蘭圃など。著作に「算法量地新書」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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