朝日日本歴史人物事典 「藤岡有貞」の解説
藤岡有貞
生年:文政3(1820)
江戸後期の和算家。通称雄市,幼名恵之助,字を子明,観瀾,賜谷,累山と号した。出雲松江藩士。弘化2(1845)年4月より江戸勤番,このころ内田五観に学んだ。嘉永2(1849)年4月病気療養のため帰国。蘭学測量格別出精の旨をもって士分に取り立てられ,18石5人扶持。同年7月江戸勤番をおおせつけられたが病気のため延期,同年12月30歳で病死した。その著『算法円理通』の弘化2年版の序,3年版の跋は円理の問題に取り組んでいる。今でいうカーデオイド(心臓形)の回転体の表面積を求める高度の問題を扱う。また切口の重心に関する問題,サイクロイド(回転している車輪上の点が車の回転によってどのように動くか)の問題などを扱っている。
(道脇義正)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報